お雑煮には目がない、お餅には目がないという人も多いのではないでしょうか。
お正月には、ほとんどの人がお雑煮を食べますよね。
でもなんか不思議ですよね。
あれだけ美味しいのに、お正月しかお雑煮を食べませんよね。
別に年がら年中汁物として食べてもいいのに。
なんでお正月しか食べないのでしょうかね。
今日は、お雑煮の由来と歴史について書いてみました。
もうすぐお正月!
その前にちょっとお雑煮についてウンチクを深めておきましょう。
お雑煮の由来
日本には、初日の出と共に現れる歳神様をお祀りする習慣がありました。
年末になると床の間に、鏡餅を飾る習慣がありますね。
その鏡餅は、高い山から家にやってきた歳神様が、再び山に帰るまでの間、我が家にいる場所とされていたのです。
お雑煮の由来は、
歳神様からのお下がりとして頂く食べ物ですから、特別な日や祝いの日の「ハレの日」に食べるものだったのです。
その年の最初に井戸や川からくみ取った水(若水)とその年最初に焚いた火で、お供え物のお餅と里芋や人参と一緒に煮込み、元旦に食べたのが由来とされてます。
だからお正月しか食べないのですね!!
では、お雑煮っていう名前は、どんな由来から来ているのでしょうか?
お雑煮の名前の由来は、
今年一年、歳神様のご加護の元に健康で利益に恵まれるようにという縁起担ぎだったのですよ。
道理であんなに美味しいお雑煮をお正月しか食べないのか?という疑問がスッキリしましたね。
祝箸で食べる由来
お正月三が日に食べるお雑煮は、先が細くなっている祝箸で食べる家庭も多いと思います。
これも日本古来からの風習が由来となっています。
祝箸は、片方が人間が使って、もう一方を神様が使うという「神人共食」を表しています。
縁起物を頂く際は、神様に畏敬の念を忘れずに感謝を表します。
それは、信心深くて良き日本の文化ですね。

お雑煮の歴史
お雑煮の歴史は、大変古く平安時代から宮廷の儀式で召されていたようです。
室町時代に入り、武士の宴で最初に出される酒の肴に雑煮が振舞われるようになりました。
縁起のいい物を最初に食べる習慣だったのです。
しかし、当時お餅は高価な贅沢な食べ物で、庶民は里芋が入った雑煮を代用して食べていました。
まだまだ上流階級の召し物でした。
江戸時代に入ってから、お餅の入った雑煮が庶民の間にも広がり、現在のようにお正月の三が日に食べられるようになりました。
やっと江戸時代になってから、みんなが食べれるようになったのですね。
お雑煮の由来と歴史のまとめ
・お雑煮は歳神様にお供えしたお餅や野菜を煮雑ぜして食べる食べ物です。
日本は古来から「八百万の神(やおよろずのかみ)の信仰」といって、山から降りて来られる歳神様に畏怖の念を表していたのですね。
お餅は高価なものでしたので、庶民は里芋を入れて食べていました。
関西風と関東風の歴史的背景
お雑煮は、関西風と関東風にわかれますね。
味付けも違いますが、まずお餅の形が違いますね。
それは、歴史的背景の違いがあります。
武家の影響が強かった関東は、「敵をのす」というゲンを担ぎ、「のしもち」を切った四角い餅が使われています。
また江戸では、江戸時代から急速に人口が増えたことから、お餅の製造しやすい四角い形の餅が広まったそうです。
関西では、お餅をついて、ひとつひとつ手でこねる丸い餅が使われています。
関ケ原の合戦の地から東と西で雑煮で使われる餅の形が違うので、この時代に関西風と関東風に分かれたのですね。
関東のお雑煮は、
関西のお雑煮は、
また関東でも関西でも、各都道府県によって、汁の仕立てや具材が違ってくるのもお雑煮の地域の特徴です。
地域によってさまざまな特徴があるのですね。
最後に
お雑煮は、縁起物の食べ物なんですね。お雑煮は、歳神様のお下がりのお餅と具をその年初めての井戸や川から取った若水で煮雑ぜしてつくるのが、由来となっていました。
祝箸を使うのも「神人共食」という神と一緒に召すという日本人の持つ畏敬の念を感じます。
関東と関西でお雑煮のお餅の形が違うのは、武家文化の影響があるのですね。
お正月にお雑煮を食べるという文化は、日本中同じでも味付けが違うというのは、地域性が現れる食べ物ですね。
お雑煮の由来と歴史を知って食べる雑煮の味は、格別なものになるでしょうね。
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